もうすっかりと野も枯れて、時折吹き抜ける冷たい木枯らしが、そんな枯れ野を満たす茅や枯れ草をさわさわと打ち鳴らす。夏の草原の涼しげなそれや、秋の稲穂の立てていた雄々しい音とは ちと違い。風の唸りも入り混じっての、いかにも身を竦ませるよな いななきが、ひゅーるん・ひゅうひゅう、野を駆ける。
“…おや?”
野趣あふれる風光明媚と言えば聞こえはいいが、京の都の一角であるとはいえ、ずんと外れの場末にあるお屋敷なので。お館様のご出仕には牛車を出されるけれど、ちょっとしたお使いくらいならば、トコトコと徒歩で出掛ける瀬那であり。うあ、随分と風が冷たくなって来たなぁなんて、綿入れの袷を着ていても冷え込む外気の冷たさに、小さな肩をすぼめて足早に戻りかかった野辺の小道。樹木の梢は裸になったが、原っぱは枯れた草が居残っての、さわさわざわわと風に唸って、それがまた寒々しいところ。だが、ふと見やった草むらの中には、ただの枯れ草とは一線引いたような別物が混ざっておいで。枯れて乾いてぱさぱさな、ごわごわしてそな一群の中に、ぽあぽあとやあらかそうな毛並みのお尻尾が、ふわり・ふらふらと躍ってる。
“え? え? もしかして隠れんぼかなぁ?”
だったら邪魔しちゃいけないのかしら? でもでも、確か阿含さんは冬眠に入られたとか言ってたし、お館様とのお遊びで、こんなまで遠くには出て来なかろし。第一、そろそろ陽も傾く。秋の陽はつるべ落としというけれど、本当にあっと言う間に暗くなるから、こんなところで時間を忘れて遊んでいたらば、すぐにも寒い寒い陽暮れどきになってしまうから、
「…くうちゃん、見つけた。」
そんなお声をかけたれば、
「はやや、何で判ったですか?」
むくり、身を起こした幼子が、黒みの潤んだ大きな眸を見張って、めいっぱい驚いて見せるから。もしかしてもしかしたらば、彼なりのセナが帰って来るのに合わせての悪戯だったのかも知れない。
“隠れてて、通り過ぎたところへ声でもかけようと思っていたとか?”
だっていうのにのに、お兄さんがあっさりと見破ってしまったのが、小さな坊やには不思議でしょうがない。わしわしと枯れ草の海から出て来ると、ねえねえなんで?と、つぶらな眸で見上げての訊いて来る。だがそこは、結構“お兄さん歴”を積んでいる書生くんでもあってのこと。
「ふふ〜ん、凄いだろぉーvv」
「うっ、しゅごいしゅごいっ!」
わざとらしい鼻高々の素振りをして見せれば、それがそのまま、仔ギツネさんの隠れようだって大したもんだということに繋がると。やさしいお兄さんはとっくに学習しておいでだから。そんな言いようをしつつ、小さな坊やの体についてた草を払ってやり、
「さあ、帰ろうか。」
こんな寒いのに迎えに来てくれたんだね、ありがとうね。だってくう、せ〜なとあしょびたいvv そう言って伸ばされた小さなお手々は暖かで、にゃは〜っと満面の笑みにて見上げて来たのが、何とも言えず愛らしく。
―― 帰ろう帰ろう、暖かいお家vv
仲良しこよしが家路を辿る。いつもと変わらぬ光景だったはずなのに。
「…はや?」
その並木を抜ければ、お屋敷の塀が連なる通りへ出るという辻まで来たところ。ふと、仔ギツネ坊やがその足を止めた。仔ギツネと言っても見た目は人の和子の姿を保っており。甘い色合いの髪、頭の後ろに高々結って、ふわふかな頬や小鼻も愛らしく、緋色の口許は出来たてのぎゅうひのお餅のように甘く柔らか。小枝みたいに頼りない腕脚も、曲げないと肘や膝が判らぬくらいに、まだまだ寸が足らなくて。そんなまで幼くも愛らしい和子と、あまり大差ないかもという、甘やかな雰囲気の稚(いとけな)い、可憐な風貌の少年とという組み合わせ。丸みの強い黒々とした目許の潤みは、ともすれば嫋やかで。頑張って強い大人になるんだと、お勉強に勤しむ彼の、だがまだまだ線の細い印象を、健気なそれへと転化させるばかり。どう見たって、どちらかがお守りの立場には到底見えない組み合わせであり、そんな二人の陰へと重なる、何だか不穏な気配がしたのへ、小さな坊やが先に気づいて。
「〜〜〜。」
「くうちゃん?」
立ち止まってまでして辺りを見回した坊やの様子へこそ、連れのお兄さんがおやや?と怪訝に思っておれば、
―― ひゅ〜るん、ひゅうびゅう
風の音が微妙に変わった。ひゅうっと強いのが吹きつけて、それが襟足や足元を冷ややかに叩いたものだから。
「ひゃあっ。」
思わずのこと、身をすくめたセナの手から、小さな温みがすっぽ抜ける。
“え?”
あれれ、どうして? そんなにも強く引っ張り上げてなんてないのに。肩をすぼめたくらいだったのに、何でくうちゃんの手が…? 何が起きたかと、その手元を見下ろしかかったセナの耳へ、
「せぇな〜っ。」
離れたところからのお声が届いたから、ハッとしたなんてもんじゃあない。
「くうちゃんっ!」
そちらを見やれば、くうちゃんが…宙へとその身を浮かべてる。不思議な術を少しずつ、使えるようになりつつある彼ではあるが、
「せぇなぁ〜〜っ。」
どう見ても自分の意志でのことには見えない。悲痛な声で呼ぶところなぞ、何かに捕まり連れ去られかけてるという風情であり、
「くうちゃんっ!」
天狐のくうをああまで搦め捕るとは。ここいらの土地を制覇しているのが阿含と蛭魔だというのは、既に広まってもいることだし。となれば、ちょっとした地霊の悪戯ではなかろう。そんなこんなと思いつつ、手は素早く動いており。懐ろへと手を入れて、掴み出したは咒弊の束。基本の封咒の中、蛭魔がセナに真っ先に教えたのが、
「封咒 制覇っ。吾(あが)の宣詞のみを聞けっ!」
自分を乗っ取られず侵されず、その身とその心に堅い防御を張り、他者の介入を受けつけぬ下地をまずは作れと。力の強い武神に翻弄されてた身への基本として、それを教えられており。今もその印を切ってから、さて。指先に挟んでかざした咒弊は、合の結界を紡ぐためのそれ。
「…っ。」
胸の奥にて紡いだ咒詞と共に、鋭い気勢を乗せて投げつけたれば、
「ひゃんっ。」
坊やを取り巻く風の就縛がかき消えて、ほとんと落ちたところから、お兄さんの元へまで必死な様子で駆け戻る。
「せぇなっ。」
「おいでっ。」
何物かは知らないが、仔ギツネ坊やを狙う気配の襲来だ。地上へ来るとき、それなりの防御咒をかけられている彼で、それに守られてもいるはずの身を、こうまで容易く奪いかかるとは。
「誰だっ!」
腰へと掴まらせた坊やの盾になり、自分から前へ出て、辺りの気配を伺ってみる。枯れ草のなぶられる音や、木枯らしが梢で撒かれてひゅうんと鳴く音しか聞こえぬが、
“…何だろ。小さい気配がする。”
視野の中には何にも居ないが、向かう先の木立の脇に、何かが立っているような。と、そこへ、
《 おら、しっかり働かねぇか。》
どこからともなくの声がした。いや、声というより思念というか。何かしら、大きくびくりと撥ねた感触と共に流れ込んで来た感情であり、
“なに?”
荒々しい言い回しは、無頼やならず者のような語調で。でも、セナが気になったのは、それを伝えた媒体の方。さっきくうちゃんを連れ去ろうとした何かが、自分の気脈の力をこの場へ満たしているらしく。それが間に入っての、今の感情が聞こえたのなら、
“…それって。”
冷たい風に浸され続けて、ちょっぴりこわばりかけてた小さな手。体の脇へと降ろしていたその手が、きゅうと握られ、それから…
「吽っ!」
すうと息を引いてから、腹の底へとためての一気に。その身の深間で弾けさせたは、周辺の気脈をたわめて叩いた波動の念で。一方向へと突出させず、周辺へ満遍なく繰り出した気砲の一打は、
《 …っ!》
向こうが張ってたらしき隠れ蓑代わりの結界を、あっさりと砕いて剥がれさす。
「…何だ何だ、さすがは陰陽師の端くれだの。」
姿を現したのは、一応は狩衣姿をした男が一人。そして、
《 〜〜〜〜。》
その肩辺りの宙空に、小さな陰が浮いており。こちらをこそこそと見やっての、随分と怯えている様子。
「…その子。」
「ああ。見えてるんだろ? 風精の物怪、俺の式神だ。」
その男、若いのだかそれなりの年齢なのだかも判然としないのは、血気ばかりが盛んだが、人としての厚みが足りなさ過ぎるからだろう。それでなくともセナの周囲には、年に見合わぬほどもの重厚さや威容をまとった存在ばかりがいるし。それに加えて、
「ったく。あんなチビさんに見あらわされるとはな。」
ふんと忌々しげに息をつき、男の憤怒の感情が強まると、それが影響するのだろ、粗末な帷子(かたびら)姿の風精とやら、がたがたびくびくと、見るからに怯える。
“……。”
全ての式神がそうなのかどうか。契約の仕方や関係にもよるのだろうが、セナが知り得る限りの“人と妖異”という組み合わせの人々は、仲がいいか悪いかはおいといても、大概は相手を認め合ってた。だから、戦いの場でなくとも、人も妖異も互いに毅然とした態度でいたと思う。それが…あの男の式神とやらはどうだろか。どうでもいい小者を従わせているのだということか、脅され続ける立場に染まってしまって、おどおどと今にも消え入りそうな態度でいるのが気になった。
“何でだろ。一時的な偶なのか?”
だが、先程くうちゃんを束縛した咒の威力は大したもんじゃあなかったか? 今は自分にしがみつかせているから、同じ護咒にくるまれていて大丈夫。余程のこと、強い力で剥がされない限り、もう無理から連れ去られることはないけれど。そもそもの地力も相当に強い子だってのに、いくら不意を突かれたとはいえ、ああまで持ってかれかかるなんて尋常じゃあない。けどでも、そうまでの力を持つ精霊や妖異を意のままに出来るような、そんな蓄積のある人物には見えないから、何だろか、居心地が悪いような、そんな不整合が感じられてならず。
「なあ、あんた。この先の陰陽師様の弟子なんだろ?」
「え? あ、はい。」
妙に馴れ馴れしい口利きで訊かれ、とっさに素直な答え方をしてしまえば、
「で、その子は何かしらの獣の妖異だ。
今は隠してっけど、頭に耳が立ってたりするのを見たことあるし、
その尻尾だって作り物じゃあないんだろ?」
「…っ。」
尻尾はともかく、耳のことまで知ってるとはと、思わずのこと、息を引いて言葉に詰まる。今の姿の上にはないことまで知っているということは、別の日に見たということ。つまり、この子を観察していたってことではなかろうか。何物なのかとあらためて身構えてしまうセナに気づかぬか、男はさして変わらぬ口調で語り続ける。
曰く、
「なあ、その子を俺に譲ってくれねぇか?」
「………はい?」
言われた言葉の意味が理解出来なくて、一瞬、頭の中が真っ白くなった。朝ご飯に布団を炙って食えと言われたようなもので、語句が示すものは解るが、理解するのが難解で。きょとんとしてしまったの、どう解釈したものか。
「だからさ、犬だかキツネだかの妖異なんだろ?
で、時たま そこいらで遊んでるくらいだ、
祈祷や何かに必要な式神ってわけじゃあない。
護札で封じてないくらいだから、せいぜい小者の妖怪なんだろ?
そういうのって、珍しいもの好きの貴族が買ってくれんだよな。」
………はい?
見つかんなきゃ黙って持ってこうかと思ったんだが、お前さんのおもちゃなんだか、それは出来ねぇみたいだし。だからさ、金は出すから俺へ譲ってくれな。こう見えても、結構出せる身だ。金を一袋ってのはどうだ? そんだけありゃあ、何でも買えるぜ?
えっと……。
やっとのこと、そうかと気づいた。この人は、まともに相手をする価値のない人だと。人を相手にそんな尊大なことを思うなんて、セナには滅多にないことだけれど。誰へでも謙遜の構えで対するセナでも、尊厳を貴んでの丁寧に相対する必要はない人というのが、ごくごく たまに現れるもので。
『そりゃあ“興行師”だな。』
のちに蛭魔が教えてくれた。たまさかの まぐれで上手くいった咒や祈祷に味をしめたり、それで捕まえられた妖異を式神にして、怪しい術を見せて商売にする奴がたまにいる。まま、そんな間柄でも仲良くやってる分には問題もないのだが、自分にとてつもない力があるんだと誤解したまま、相手を無理から支配している場合。暴走したのを止めようがなくっての暴発に巻き込まれたり、自分も諸共に滅んでいいからというよな反逆に遭ったり、最後には何かしらのしっぺ返しに遭うと相場は決まっているそうで。だとすれば、この男にとってのしっぺ返しな状況、今の今 訪れたということか。
「…あんたなんかに。」
「ああ?」
くぐもった声が聞こえなかったか、何だってとわざとらしくも耳をそばだてた男へと、
「あんたなんかに、この子たちへと触れる資格はない。」
憤りに震える声を何とか押さえて、叫び出したくなるのを我慢して。肩が上下するほどもの激しい怒りを言葉に変える。
「どれほど純粋な魂かも、どれほど繊細な存在かも知らず、
おもちゃだなんて言うような人には、この子たちに触れてほしくないっ。」
「ああ"〜?」
怒りのせいで声が震えているセナだったのをどう解釈したものか。懐柔がダメなら脅そうと構えたらしく、いかにも声を荒げかかった男だったが、
――― 周囲の空気を大きく震わせ、
突風よりも圧の高い何物かの存在感が、
その場へ降り立ち、立ちはだかって。
どんと、重々しい何かが現れた威圧が、気配どころじゃあない、本当にその場の空気を圧縮してのしかかる。何かに押され、背後へ数歩押しのけられてしまった男が、何だ何だと前方を見据えれば、
《 あるじ。……こやつか?》
そこに立っていたのは、一人の偉丈夫。随分と上背のある、屈強精悍な男衆であり、涼しげな目元は凛と張り、やや高い頬骨の鋭角的な面立ちは、強い意志と実直そうな清廉とにて、頑健な印象で堅く冴え。厚みのある肩や胸板は、見たことのない重々しい鎧や肩当てをまとっての雄々しく。渋い色合いの奥底に鈍い鉄のきらめきを漉き込んだ、錦の衣紋をしなやかに着込んでいるその姿は、言われずとも尋常ならざる威容を放つ、人ならぬ身の存在に違いなく。
「あ………な…、こ、こいつぁ…っ。」
今になってようやっと、自分が軽々しく声をかけた相手が、どれほどの存在かに気づいたらしいが、もはや何もかも遅すぎた。
「そんな人、顔も見たくないです。
その子を縛る何かを取り上げて、どこか遠くへ飛ばしてください。」
《 承知。》
このセナがそこまでの拒絶を口にするのは本当に珍しい。日頃だったらただただ悲しいと打ちひしがれるだけだのに、どこかへ飛ばせなどと言い出すなんて。余程のこと、虫の居所が悪かったのか、それとも、
◇◇◇
「単に、その風精への同情が強かったせいだろうよ。」
せ〜なと ちゅきがみが凄かったの〜と。帰宅して早々、くうちゃんが興奮しもって一気に説明したものだから。すぐのご近所でいきなり弾けた武神様の気配に、何だなんだと飛び出しかかってたお館様や蜥蜴の総帥。成程なあと納得されて、それから…そんな一言を下さった。
「何だかんだ言ったって、お前はまだまだ自分の怒りじゃあ動けねぇ身だ。」
誰かが気の毒だから、誰ぞが可哀想だから。今のところは、そういうのが引き金になってでしか、ああまでの力は出せねえ、と。あっさりすっぱり言い切られて、
「えと…。////////」
図星だったので言い返せない、やっぱり気の弱いセナくんであり。で? その風精はどうしたよ。あ、それがですね。
『ありがとうございます。
あの男は私の母を飲んでいたので、逆らったり逃げたりも出来なくて。』
『…はいぃい?』
正確には…といいますか、人や獣でいうところの母や母体とは微妙に違うらしいのだけれど。生きてく上でも、精神的にも、それはそれは大切な存在を、何かの拍子、その身へ取り込んでしまったらしくって。それでやむなく、彼から離れられないまんま、言いなりになり続けていたのだそうで。だが、そんな真相は進にはあっさりと見通せて。その身を叩いて吐き出させ、男の方は遠く蝦夷の地へまで吹き飛ばしたというから、
「おお、これから寒い季節だというに♪」
「何だ その、最後の楽しげな記号はよ。」
自分しかいなかった場で、誰へ頼るでもなく自身の矜持に則って、なかなか頼もしい一仕事、悪党退治をやってのけた教え子だったことへこそ、嬉しくて楽しくてしようがないお師匠様なのだろに。ざまあみろという方向で楽しいのだと、やたら はしゃいで見せる臍曲がり。そして、
「あ……。」
そうだった、そりゃまた可哀想なことをしちゃったと。早くも反省しかかるお人よしな和子なのへは、
《 ………。》
しようのない御主だなと、屋敷のどこかで誰か様が苦笑なさっていたりする。すぐそこという間近になってる、この冬の寒さの本番だけれども。優しい君の真心を、尊ぶ人らがこんなにいるから。今年も暖かく過ごせそうですねと、有り明けの月の白い影が、暮れなずむ空にぷかりと浮かんでおりました。
〜Fine〜 08.12.18.
*こんなんですが、セナくん、はっぴぃばーすでい話ですvv
選りにもよってこのチビさんを怒らせるとは馬鹿な奴だと、
もっと長引いてれば自分も加勢に行ってただろこと含めて、
鼻で笑った蛭魔さんだったに違いなく。
いや、後ろ盾の顔触れが判っていたなら、
とてもじゃないが手出しする奴はいませんて。(苦笑)
めーるふぉーむvv 

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